装幀=菊地信義とある 「著者50人の本」展
・とかくわたしのまわりでは人身事故がよく起こるような気がする。大学に通っていたころ、一月くらい自分が大学に通うために電車に乗るたびに、人身事故で遅刻してしまっていたことがあった。
今年度から小田急を使うようになったら脱線事故を起こして、一晩中電車が動かない事態になった。そして今日も久しぶりに美術館に行こうと京浜東北線に乗ったらちょうど横浜で人身事故が発生したばかりで、復旧に一時間くらいかかるとのことだった。(それだけ人身事故というのは自分が思っているよりも日常的な出来事なのだろうけれど)
・横須賀線とみなとみらい線を使って元町中華街で下車し地下からずーっとあがっていくと港の見える丘公園の近くまで出ることができる。到着したら突然の大雨でスマホで天気図を見るとちょうど横浜の上だけ真っ赤になっていて、まあ、運が悪い日なのかな、と思った。
・港の見える丘公園の展望台で雨宿りをする人たちを横目に、陸橋を渡って行ったところにある神奈川近代文学館。初めて来たのだけれど、洋館風、西洋風の庭園を越えたところにあり、とても雰囲気が良い。
ちなみに喫煙所は入り口の自動ドアに一カ所ある。
エントランスを入って右側にチケットカウンター、左側にミュージアムショップ、その奥にミュージアムカフェがある。常設展示は広間を一つだけらしく、作り込んであるものの掛け替えはあまり行なっていないのではないか、という印象。企画展示室は二部屋で狭い印象を受けるかもしれないが、企画が面白くじっくり見ていたため、全部見て回ったのに1時間30分くらいかかった。
・それまでは画家の副業だった装幀の仕事がこの菊地信義という方が装幀家としての職業を作り出した始祖らしい、、、友人知人に聞いてみると、わりと有名な方だったらしいのですが実はあまり装幀を気にして本を買ったことがなかった。
・パネルのなかで次のような文章が引用されていた。「じっさいには、本に文字は書かれない。文の文字とは書かれたものではなく、植えられたものであり、打たれたものである」
確かに考えてみればそうだなと思った。文章を書くのは文筆家だけれども、それを本の形にして手元に届けるのは、別のひとなのだなあと思った。それは文筆家なり小説家なりの書いた原稿は植物の種であり、種を鉢植えし水やりをし土を考え肥料を与え剪定をして初めて立派な花を咲かせるも、痩せ細らせ枯らしてしまうも、本を作る仕事をしているひと次第であるなと思った。
装幀だったり文字組というのはあまり――わたしもそうであったのだけれど――あまり目立つ職業ではない。だけれど、装幀が良ければひとの手に取ってもらいやすくなるし、持っていて眺めていても楽しい。それに文字組みもきちんと調節しないと読みにくくてせっかく名文であってもなかなか頭に入ってこない。このような本との関わり方もあるのだと思った。
・展示ではガラスケースに入れられたものとはべつに、実際に本を手にとって肌触りを確かめられるコーナーがふんだんに設けてある。それぞれ紙をこだわったり印刷方法をこだわったりしていたことを改めて知って触ってみるととても面白い。
わたしが気になって直観で良いなと思った装幀の本を何冊かあげみたいと思う。
・やはり自分はタイポグラフィックがけっこう気になるのかもしれない、と思いながら美術館を出ると雨はすっかりあがっていた。湿気はすごかったけれど。
追記:オープニングイベントとして装幀の作業を実際にライブでやるという催しがあったらしい。見てみたかったなあ。DTPとして出版物を作るというのは誰でもできるようになったけれど、それを職人芸として完成度を高めるには、ということはまったく分かっていない。どの程度、どこの部分まで気にしながら詰めていっているのかとても気になった。