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しろいはなび

twitterでは手狭に感じてきたのでブログを始めてみました。

時事ネタ嫌い 菊地成孔

菊地成孔氏の書いた本で読んだのは東京大学のアルバートアイラー上下巻、M/D上と、スペインの宇宙食と歌舞伎町のミッドナイト・フットボールで久々のエッセイ本だ。とくだん避けていたわけではない。ただ文庫化されているものが少なく、今でこそアマゾンのマケプレという素晴らしい手段を見つけたけれどもそれまでは定価で買うしかないと思っていたので、必然的に優先順位の上位に来つつも買うほどまでには至らなかったというのが正直なところだ。

 

時事ネタ嫌い、わたしも彼の言う通り、時事ネタというのは「大人向けの合法ドラッグ」だと思っている。高校生の一時期ニュー速板に入り浸って思ったのだけれど、世の中に起きる痛ましい事件に怒ったり悲しんだりするというのはとても気持ちの良いものだし社会的関心を持っているという点で有意義なことをしていると勘違いさせられる。(社会に関心を持つのは良いこととされているし)

 

だけど、考えてみればそれらは自分には一切関係の無いものだ。誰かがむごたらしく殺されようと、政治家が不正をしようと、わたしがどんなに調べても、それについての見解を考えようとも、一切それらを食い止めることもできないし、変えることもできない。そもそもニュースから得られる情報はあまりにも少なすぎ、複雑な事態を把握することなどできようもないのだ。

 

そのことに気が付いたとき、わたしは時事ネタから興味を無くし、ニュースもほとんど見なくなった。

 

この本においてもそうだ。不二家の食品不正問題から尖閣諸島中国漁船衝突事件とチリの鉱山崩落事故まで、震災の直前までをこの本で扱っている。いまとなってはどれもああそんなことあったなあと思う懐かしい事件ばかりだ。あのころは――つまり震災前――まだ平和だったねえ、なんて思いながら、彼独特の視点――己の顔がアニメに似ているか格差、恋する国民、食品不正問題、コドモ化する日本――と独特の衒学的なワードとリズムに翻弄されながら読んだけれど、結局何も残らなかった。時事ネタとはそういうものなのだろう。

 

この連載をしていたのは40代後半だと思うのだけれど、やはりわたしは「スペインの宇宙食」と「歌舞伎町のミッドナイト・フットボール」こそが至高の本だと思う。突き抜けた衒学、ひとによってはアウトであろう気持ち悪い文章は菊地成孔しか書けないものだと思う。ただ、40代後半の菊地さんにもう一度あの頃の文章を書けというのも酷な話であるし、彼自身わたしのような人間を「ぶら下がり」と言って揶揄している。だけど、経年変化という時間に押し流されるようでどこか寂しさを覚えた。

 

 

追記:今シーズンは金曜日の夜中に番組の枠を移し、それによってわたしの生活環境も変わり、金曜の深夜にラジオを聞くことができない身となってしまった。そんななかでフォロワーさんに教えてもらったのが菊地組さんだった。彼は番組をアーカイブしてmixcloudにあげてくれている。(番組サイドもその活動を把握している)毎回とても早く、そしてmixcloudを使ってくれているおかげで、毎朝夜電波を聞きながら電車に揺られていた。それがとても楽しみな時間であった。朝の爽やかな時間に菊地氏の芳醇なブランデーのような声を聞くアンビバレンスさは何にも代えがたいものであった。

そんな善意の活動をしてくれている菊地組さんがアンチの被害に遭われていて閉鎖の危機に瀕しているようだ。わたしは現在パソコン環境とネット環境が万全ではなく、何も手助けすることもできないのでただ事の推移を見守っているしかないのが歯がゆいものだ。

 

時事ネタ嫌い

時事ネタ嫌い