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しろいはなび

twitterでは手狭に感じてきたのでブログを始めてみました。

横浜トリエンナーレ2014 華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある

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2014年の横浜トリエンナーレに行ってきました。他の方のブログを読むと、たくさんの写真があって手に取るように雰囲気が分かってすごいなあと思います。自分なんか見ることに集中してしまったり、どれが撮って良くてどれが撮ってはいけないのかいまいち分からなくてあんまり撮らなかったです。

 

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横浜美術館の前に鎮座しているヴィム・デルボア≪低床トレーラー≫がとても印象的です。これは、遠くから見ると錆びたトレーラーなのですが、近くに寄ると繊細なゴシック建築のような飾りが見えてきてとても楽しい作品です。

 

他にわたしが気に入った作品を何点か紹介します。マルセル・ブロータース≪猫のインタビュー≫です。これは暗い部屋の中にテーブルと椅子が向かい合うように並べられて、テーブルの上にはキャプションが並べられていました。そして男のひとが猫にインタビューしている音声が流れているのですが、それがとても可愛らしくてとても好きになりました。

他にアリーナ・シャポツニコフの噛み終わったガムの写真や福岡道雄のとても大きな油絵にぎっちりと描かれた「何もしたくない」「何もすることがない」の言葉やアンディ・ウォーホルの「絶頂絵画」など、芸術とはいかにも呪術的でもあり遊びのようなものであり、非常にプリミティブな一人遊びであるな、と思いました。第四話のキャプションにも以下のような言葉が書かれていました。

 

「芸術家とは、なぜかいきなり、社会や宇宙と闘いを始める格闘家のことである。たった独りで立ち向かうこの重労働は、生きる衝動の純粋なあらわれなのだが、無意味で無用な徒労のようにも見える。それゆえ、この格闘家は、役に立つことを求める価値観とはあいいいれず、しだいに人里から遠ざかっていく。そして、やがて人知れず忘却の海へと旅立っていく。いかなる風にもなびかず、孤独な光を放ちつづける忘却の旅人になるために。」

 

芸術とは楽しくもあるけれど、悲しくそして、とても怖いものだなと思いました。芸術と呼ばれるこれらは見るのも楽しいしするのも楽しいことではあるけれど、それに向かっていくことによってどんどんと人里から離れていって、じきに戻れなくなってしまうところまで流されていってしまうようです。そして、最後にはいなくなったことさえ気付かれず、「忘却の海」を彷徨う難破船を思い浮かべました。そして美術館は砂浜のように思えました。ときたま誰かが海に流れ着いたものを見つけては、これは綺麗だ、すごい、と見せて回るような。海に流れ着いた小石や貝殻をピアスやアクセサリーにして値段をつけて売っているような印象があります。

 

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岡本太郎は芸術は無目的で純粋であるべきだと主張していますが、これがその結果だとしたらどこか寂しいものがあります。人の目を気にした作品を「ちゃっかりしている」と言って唾棄すべきものだと一蹴していますが、わたしには彼らがとても声高に叫んでいるように思えるのです。作家自身にしか分からない言語によって。(新港ピアに展示されているものの方がそのような暗号鍵を持たない暗号のような感覚を覚えました。松澤宥ψの部屋などがそうで真理の探求の結果が狂人のようにしか見えなかったり、大竹伸朗の巨大な車だったり、イライアス・ハンセンのネオン管で装飾された処刑椅子だったりするんだと感じました。新港ピアの方が横浜美術館のものより全体的に原初的な印象を受けましたが、その分理解が追いつきにくいと思います)

 

前回のトリエンナーレより全体的に分かりやすいというか整然とした印象を受けました。前回はもっとごちゃごちゃしてて、意味が分からないもので溢れていたように思います。しかし、今回は章ごとのキャプションもとても面白く読みやすくて良かったです。

 

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今回のポスターになっているギム・ホンソックのゴミ袋のクマさんですが、マークイズの地下4階に設置されています。みなとみらい駅の改札とお店の間の柱です。ポスターだと茶色のように見えますが実際にはもっと黒いです。ポスターの方が可愛かったな。

 

 

 

今回はワークショップも参加してきました。入り口の受付近辺でやっていたのが色紙の表に「忘れたいこと」を書き、裏側に「忘れたくないこと」を書くというものです。一見なんの意味があるのか分からないのですが、これがやってみると面白い。わたしはここ最近悩ませる以前住んでいた西新井の記憶を忘れたいと書きました。現状としてどうにもならないのですが、毎日のようにあの頃の記憶が蘇ってきて、もの悲しい気分になるのです。

 

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そして、もう一つやっていたのが、今回のテーマである「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」を写経するというワークショップでした。これまたなんの意味があるのか分からないのですが、やってみると高校卒業までやっていた書道の記憶が蘇ってきて楽しかったです。下手になったなあと思いました。それにこの紙いっぱいに大きく字を書く感じがわたしの本質的な図々しさを現しているようにも思いました。twitterIDを書き込んで見たので良かったら見つけてみてください。

 

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今回のトリエンナーレ岡本太郎流に言えば「ちゃっかり」したものよりも「無目的」なものに目がいってしまいました。芸術とはぽっかりと開いた落とし穴のように怖くて悲しいものなんじゃないかと思いました。