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しろいはなび

twitterでは手狭に感じてきたのでブログを始めてみました。

非モテは人格不適合者か?

 

自分の友人の多くは同性異性問わず比較的モテるように見える方がたくさんいます。恋人がいるひとの方が多いですし、恋人がいてなおバイト先で誰々に言い寄られて、とか、この前ホテルに連れ込んだ話、であるとか、浮気をした話、とかたくさん聞きます。わたしは誰かとお付き合いの約束を結んだことが無いので、いったい世の中の仕組みはどうなっているのか、と不思議に思うのです。

 

わたしは以前、モテに対してとても焦っていた時期がありました。それはモテない、であったり性行為の経験が無かったり、恋人がいないということは、それはつまり人格に問題がある、とされることが多いからです。龍堂さんのツイートではモテない=人格に問題がある、訳ではないと言っていますが、モテないのには理由がある、と述べています。理由がある、というのは好意的な理由とは考えにくく、概ね否定的な理由でしょう。

 


他にもこのようなツイートもありました。これもこのツイートだけでなく多く言われることのように思いますし、例のオタキングがセックスモンスターになってしまったのも若かりし頃にモテなかったのが原因であるかのような言説が飛び交っていました。

わたしは単純に人生をより良いものにしたいと誰でもが思うようなことをわたしも思っていますし、悪い人格よりもより良い人格の持ち主でありたいと思っています。だけれども、その恋愛をしたり性行為をしたりすること、それらを望み、申し出るような行為がより良い行動とはとても思えません。それは相手の領域に足を踏み入れる行為になるからです。それは相手にとってストレスに感じるでしょう。(実際にそういう愚痴をたくさん聞いてきました)それによって相手を傷つける可能性があります。もちろん、この懸念はマッチョイズム的な肉食系の考え方の持ち主からすれば、「自分が傷つくのが怖いだけ」と一蹴されてしまうでしょう。でも違うのです。自分が傷つくのが怖いとは感覚的に違うことをわたしは知っています。自分の規範から外れた失礼な行為は感覚的に抵抗があるからです。(たとえば畳に靴のまま上がる、とかお守りの中身を覗き込む、といった行為に近しいです、それらは怖いとはまた違う感覚ですよね?)

わたし自身もこのままではいけない、と思ったことがあって、敢えて自分の規範から外れた失礼な行為をしてみた時期もあります。その頃の自分は振り返ってみても暗澹たる気持ちになります。たくさんの人間に迷惑をかけたな、と思います。しかしそのおかげなのか、なんとか自分に折り合いをつけることができましたけれど・・・だけれどももう一度あのような振る舞いをしようとはなかなか思いません。

しかし、モテているひとの魅力というのは確かにあるのです。つねに異性の影がある人間はわたしには光り輝いているように見えます。それがどうしてなのかわたしには分かりません。


恋愛というのはできるひとには、簡単にできるどころか、ただ生きているだけで舞い込んできて、それによって振り回されるほどに厄介なものであるようですが、わたしは普通に生きているように思うのに、まったくその気配すらありません。それはただわたしが恋愛というものに致命的に向いていない、つまり音痴であるとかカナヅチであるとかそういうことと同じなのではないかと思っていて、じゃあ意識して治そうかと思うと「恋愛工学」式の闇に落ちることになってしまって、いったい自分はいったいどうすればより良く、人間としての魅力を備えられるのか、まったく分からない。どうやらわたしは少し混乱しているようです。

恋愛について考えると、このような混乱状態に陥るみたいです。以前もほかのSNStwitterで恋愛について考えて自分の気持ちを書いてみたことは何度もあるのですが、その多くが文字を書き進めていくうちに混乱状態に陥って、言いたいことも、言いたかったことも、まとまりも深められもせず、ぐるぐると回っているうちに疲れ果ててしまうことが多かったのですが、まだそのようですね。

そもそも相手を求めたり、好きだという感情はとても身勝手で暴力的で一方向なものだと思います。それは写真を撮るときにもいつも思います。写真を撮るときは了承の上であっても、相手のリソースを奪う必要があります。そうでなければ写真を撮ることができません。恋愛は写真の何倍ものリソースを奪います。
同じことの繰り返しになりますが、「それが傷つくのが怖い」と批判するならばそれはそれで良いのです。ただ、わたしの感情にはぴったりと合致しません。