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しろいはなび

twitterでは手狭に感じてきたのでブログを始めてみました。

東京は焼け野原にならない

日々、各地で大きな地震が起きている。そして我々の不安は最高潮に達している。「次はきっと東京だ」「関東大震災が来る」と。

 

これはわたしの個人的な感想であるが、その「関東大震災」について思いを馳せるとき、かすかな期待すらもあると思う。原発が爆発しても壊れなかった東京の日常は「関東大震災」が来たときに壊れる。そして東京は焼け野原になる。そう、あの終戦直後の東京の風景のようにすべてが更地になる。もしくは阪神大震災のように高速道路が陥落し辺りのビルが倒壊し、すべてがご破算になってしまう。その、ご破算を心のどこかで願っていないと言ったら嘘になる。

 

なんだかぱっとしない日常が崩れて、それまでの体制やシステムがすべて崩壊して、みんなが新しいスタートを切る、あの終戦直後の焼け野原のまっさらな東京の風景、というものを期待する幼稚な心性が存在している。そして、そう願っているのは何も自分だけではないのだろう、とも考えている。東京に震災が来たらどうなるかというシミュレーションする番組は、必要以上におどろどろしく、まるで世界が滅亡するような感じで描く。それは、ジェットコースターの頂上のような不安を煽っているみたいだ。

 

それはかつて世紀末のときにノストラダムスの大予言なる迷信が流行り、人類は21世紀を迎えることなく死ぬとみんなが信じていたときのようだ。あの、世紀末のときと違うのは、期限がないことだ。どこかで聞く大地震の話に震え、次こそは、次こそは、と期待する。

 

 

しかし、おそらくだけど、きっと、「関東大震災」なるものが来たとしても(いつかは来るだろう)きっと、焼け野原にはならないし、日常は壊れないんだと思う。確かに電車は止まるだろうし、不通区間は出るだろう。震災当日は東京中の人たちがぞろぞろと歩いて帰ったり肩を寄せ合って不安な夜を過ごしたりするんだと思う。それは一種のお祭り状態になるはずだ。日常とは違う、お祭り。

確かに死んでしまう人も出てくるだろう、火事も起きるかもしれない、怪我をするひとも出てくるだろう、だけど、それで東京が焼け野原になったり瓦礫の山になったり数か月、数年にわたって使えなくなるなんてことはきっと起きらない、ような気がしてきた。

地震が起きて数日は電車が止まったり電気水道などのインフラが止まったりするだろうが、一週間も経てば、なんとなく元通りの日常に移行して、ビルの外壁や窓ガラスが割れているな~なんてことを思いながら出勤や登校をし、オフィスで家庭で学校で、そのとき身に起こった体験談を話し合いながら「こわかったね~」と言って、それまでの日常と変わらない地続きの日常が始まり、だらだらと続くんだと、、、そんな気がしてならない。