しろいはなび

twitterでは手狭に感じてきたのでブログを始めてみました。

フェミニストから見えるテレクラキャノンボール

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湯山 テレキャノにおいて、男の集団や競争がエンターテインメントのためのドラマツルギーだとわかっていても、まあ、私は女なので、笑いものにされ、下に置かれて蔑視される女たちに関しては、非常にカンに障ったのは事実です。
女性は男性から欲求されて当たり前の存在で、自分からセックスだけの関係を求めていく女は浅ましいという考え方は根強い。肉食女子なんて言葉ができました けど、綺麗な子が肉食ならまだしも、デブで中年でブスな女が肉食だとすると、男からも、そしてここが重要なんですが女からも蔑まれてしまう。『テレキャ ノ』には下位にそういう女が存在することで、「こんな女とヤレたオマエは男として凄い」と、男たちがまとまるという構図がありますよね。

カンパニー松尾/湯山玲子 女性たちは、「テレキャノ」にどうして怒らないの?<対談 「劇場版 テレクラキャノンボール2013」が教えてくれる男と女とその時代> - 幻冬舎plus

 

フェミニズムのひとが見たテレクラキャノンボールの感想や、湯山玲子氏の見たテレクラキャノンボールの感想を見て、とても自分がテレクラキャノンボールを見た感想とはまったく違って驚いてしまった。まるで別の作品を見た感想のように思う。

 

「AVであるという大前提が持つ、男から女への一方的な性的消費、女性蔑視の構造に、観客の大部分が無自覚」であったことに怒りを持ち、この作品を評価している女性はこの作品を消費することで快感を得ているのだ、というのが彼の主張なのであるが、そもそもそんな殺伐とした作品であっただろうか、というのがわたしの率直な疑問だ。

 

可能性として考えられるのは、わたしが見たテレクラキャノンボールは総再生時間が600分という長大な作品であったのにたいし、多くのひとが語っているテレクラキャノンボールは劇場版でおよそ2時間の作品だ。つまり五分の一になっている。ということは細かいところを切り詰めるのではなくてどこかが大幅にごっそり抜けていることになる。

ちゃんと劇場版を買って検証すればいいことなのだけれど、さすがにそこまでする財布の余裕がないのでしないが、おそらく性交シーンの多くが削られ、ホテルでそれぞれ撮ってきたビデオを再生して互いに得点ポイントを採点しあうシーンが多かったのではないだろうか。ビデオを見ながらゲラゲラ笑って互いのセックスを評価しあうシーンが主な内容であったのならば、その「ゲスさ」に不快感を示すのも納得である。

 

全長版を見たわたしの感想は、性交を基盤としたコミュニケーションっていうのはわたしたちがいつも行なっている言語を基盤としたコミュニケーションとはまったく違って、とても興味深いし面白いし温かい気持ちになれた、ということだった。

 

それに監督さんたちはみんなとても紳士的であったし(無理強いすることなんて絶対にしないし)、どんな女性(つまり湯山さんが指摘してたマイナスポイントになってしまうような高齢女性)であっても、そのひとに合ったコミュニケーションを取っていたし、それぞれの人生の一端が滲み出ていたし、ひとによってこんなにも性交が違うものだというのも楽しかったなあ、という気持ちでした。

 

だから、あんまり性的消費、女性蔑視、ということを言われてもあんまりピンとこない。それどころか人間って服を脱いで裸になっちゃえばみんな一緒なんだな、ってすら思った。