フェミニストから見えるテレクラキャノンボール
テレキャノを劇場で見たとき、これがAVであるという大前提が持つ、男から女への一方的な性的消費・女性蔑視の構造に、観客の大部分が無自覚なまま声をあげて笑っているのに嫌悪感を抱いた。私はこの作品を「笑ってしまう自分に罪悪感を感じながら見るべきもの」だと思ったので。
— 福田フクスケ (@f_fukusuke) February 16, 2015
ただ、テレキャノを評価する識者の中には、この作品が前提として持つ差別性は当然自覚した上で、「ゲスなホモソゲームに興じる男たち」を消費し返してやることに快感を見出した女性も多いように思う。
— 福田フクスケ (@f_fukusuke) February 16, 2015
だから、俺はどちらかというと、作品自体への嫌悪感よりも、批判的・内省的に鑑賞して初めて意味があるのに、無自覚に手放しで笑っている観客への嫌悪感のほうが強かったな。当時の自分の感想ツイートもこんな感じでした。
https://t.co/bO1WyinpUN
— 福田フクスケ (@f_fukusuke) February 16, 2015
個人的な実感として、私の周囲には「男性社会はクソだけど、かといって男性嫌悪と被害者意識が強すぎるフェミにも同意できない」という女性が多い。決して名誉男性というわけではなく、「女が女であるというだけで弱者や被害者を強いられる社会はおかしい」と考えている点ではとてもフェミニスト。
— 福田フクスケ (@f_fukusuke) February 16, 2015
彼女たちからは「女が男に消費されているのは事実だが、女だって男を消費して楽しんでいるし、同じように消費し返してやればいい。私たちはそんなに弱い存在ではない」という信念を感じる。その思想自体は魅力的だけど、全員がそこまで強くないのも事実。そこで分断・敵対はしてほしくないなと思う。
— 福田フクスケ (@f_fukusuke) February 16, 2015
湯山 テレキャノにおいて、男の集団や競争がエンターテインメントのためのドラマツルギーだとわかっていても、まあ、私は女なので、笑いものにされ、下に置かれて蔑視される女たちに関しては、非常にカンに障ったのは事実です。
女性は男性から欲求されて当たり前の存在で、自分からセックスだけの関係を求めていく女は浅ましいという考え方は根強い。肉食女子なんて言葉ができました けど、綺麗な子が肉食ならまだしも、デブで中年でブスな女が肉食だとすると、男からも、そしてここが重要なんですが女からも蔑まれてしまう。『テレキャ ノ』には下位にそういう女が存在することで、「こんな女とヤレたオマエは男として凄い」と、男たちがまとまるという構図がありますよね。カンパニー松尾/湯山玲子 女性たちは、「テレキャノ」にどうして怒らないの?<対談 「劇場版 テレクラキャノンボール2013」が教えてくれる男と女とその時代> - 幻冬舎plus
フェミニズムのひとが見たテレクラキャノンボールの感想や、湯山玲子氏の見たテレクラキャノンボールの感想を見て、とても自分がテレクラキャノンボールを見た感想とはまったく違って驚いてしまった。まるで別の作品を見た感想のように思う。
「AVであるという大前提が持つ、男から女への一方的な性的消費、女性蔑視の構造に、観客の大部分が無自覚」であったことに怒りを持ち、この作品を評価している女性はこの作品を消費することで快感を得ているのだ、というのが彼の主張なのであるが、そもそもそんな殺伐とした作品であっただろうか、というのがわたしの率直な疑問だ。
可能性として考えられるのは、わたしが見たテレクラキャノンボールは総再生時間が600分という長大な作品であったのにたいし、多くのひとが語っているテレクラキャノンボールは劇場版でおよそ2時間の作品だ。つまり五分の一になっている。ということは細かいところを切り詰めるのではなくてどこかが大幅にごっそり抜けていることになる。
ちゃんと劇場版を買って検証すればいいことなのだけれど、さすがにそこまでする財布の余裕がないのでしないが、おそらく性交シーンの多くが削られ、ホテルでそれぞれ撮ってきたビデオを再生して互いに得点ポイントを採点しあうシーンが多かったのではないだろうか。ビデオを見ながらゲラゲラ笑って互いのセックスを評価しあうシーンが主な内容であったのならば、その「ゲスさ」に不快感を示すのも納得である。
全長版を見たわたしの感想は、性交を基盤としたコミュニケーションっていうのはわたしたちがいつも行なっている言語を基盤としたコミュニケーションとはまったく違って、とても興味深いし面白いし温かい気持ちになれた、ということだった。
それに監督さんたちはみんなとても紳士的であったし(無理強いすることなんて絶対にしないし)、どんな女性(つまり湯山さんが指摘してたマイナスポイントになってしまうような高齢女性)であっても、そのひとに合ったコミュニケーションを取っていたし、それぞれの人生の一端が滲み出ていたし、ひとによってこんなにも性交が違うものだというのも楽しかったなあ、という気持ちでした。
だから、あんまり性的消費、女性蔑視、ということを言われてもあんまりピンとこない。それどころか人間って服を脱いで裸になっちゃえばみんな一緒なんだな、ってすら思った。