BiSキャノンボールを観てきた感想
今週のお題「ふつうに良かった映画」
BiSキャノンボールを観てきました。以下の感想は帰りの電車の中でiPhoneを使って書いたものです。いまだにフリック入力で文字を書くことと頭の中で思いつくスピードがいまいち同期しなくて大変ですが、観た直後の生の感想が記録されていてとても面白いです。ちなみに今作、冒頭で「ネタバレしないでね」と釘を刺されるのでなかなか書きづらいです。だけど何かに突き動かされるように書いている感じがとても面白いなと思ったのでそのまま載せておきます。
先日、BiSキャノンボールを観てきました。舞台挨拶付きでカンパニー松尾、バクシーシ山下、タートル今田、柳井一、嵐山みちる、が舞台に上がってトークショーをしていました。それほど突っ込んだ話はしていなかったのだけれども、実は舞台挨拶というのを初めて見ました。スクリーンの向こう側で活躍していたひとたちが実物の人間として舞台の上に現前するというのは不思議な感覚でした。一方的に見る対象であった登場人物に眼差しを向けられるのはどことなく気恥ずかしいような、気まずいような気がしました。でもとても良い経験でした。
本編の内容ですがネタバレしないように感想を述べてみたいと思います。今回のBiSキャノンボールはそのパッケージングとは裏腹に本編以上に暗さを持った作品でした。
BiSというアイドルグループの解散ライブが横浜で行われるのですが、そこにキャノンボール一行がドキュメンタリー撮影に入ります。しかしキャノンボールメンバーには本編のキャノンボールと同様女性へのアプローチによって点数が与えられ競っているのです。(このことはBiSメンバーには知らされていません)つまり彼らは解散ライブ前日のメンバーにハメ撮り交渉を試みます。
BiSのことはよく知らないのですが、アイドルの既成概念を切り崩しスキャンダラスな話題でもって人気を獲得してきたグループのようでした。本編の中でもかつてグラビア撮影でヌード撮影をしたことが言及されています。だからこそこの異種格闘技戦をマッチングしたのでしょうが、この異種格闘技戦は勝っても負けても悔いが残るなんとも後味の悪いものです。なんというか本編のキャノンボールにあった、お互いを応援するようなポジティブな関係性が予め閉ざされているのです。
さすがにヌードを撮ったからと言ってハメ撮りのハードルはあまりにも高すぎますし、そもそも達成が無理な要求です。
それに彼女たちにとっても解散ライブはとても大事なものだと思います。そのなかでハードな撮影を組んだプロデューサーは酷いひとだなあと素直に思いました。
ただそれを引っくるめて、現代の世の男性を縛る空気の中、それに迎合するのを良しとせず、世の男性たちを抑圧している「正しさ」を無かったかのように軽々と踏み超える彼らの姿は痛快に写りました。(会場は満員だったので観客の反応はとてもダイレクトに伝わってきましたが、やはりテレクラキャノンボールメンバーが一般的な常識に照らし合わせたらやらないであろう大胆なことをしたときに大笑いが起きていました)
あと別の点で気になったことはテレクラキャノンボールというコンテンツを2時間に収めるのはやっぱり厳しいなと思いました。2013版は実に10時間。2009版でも4時間あるこのコンテンツはそれだけの長さを併走したからこそ感じられる「旅」の感覚があると思うのです。BiSキャノンボールにも一応車での競争もあるのですがその必要はあったかと言うくらい圧縮されています。
ほかにももっと長尺で関係性の流れ(そもそも関係性と言うほど関係を築く時間が足りなかったような気がします。解散ライブ直前を撮影日に設定する意味も、ただタフな状況を作り出すこと以外に意味はなかったように思えました)を見せて欲しかったところも飛ばされていて、まるでダイジェスト版を見ているように思えました。
ただ、舞台挨拶でメンバーと連絡先を交換したバクシーシ山下さんがメンバーからもらったLINEで当時の撮影の状況をふりかえったメッセージを読み上げてくれたこと、それだけが救いでした。ぜひ、パッケージにした際にはあの文章を付け足すべきだと思いました。
これだけ書きましたが、やっぱり面白かったですし、とても高揚しました。彼らのような広く蔓延し抑圧する倫理とは違う倫理で生きるひとたちの存在は勇気づけられました。
観た直後の衝撃も薄らいだ数日後に考えてみると、だけどやっぱりアイドルを巡るショービジネスは過激さを増していて少女たちをプロレス的な過酷な状況に追い込むのは大変そうだなあ、と端から見てて思いました。
それと、やっぱりAVという長尺かつストーリー性の希薄さから、ふとした瞬間の余剰にわたしたちは物語を読み込むのだなあ、と思いました。テレクラキャノンボールで彼らが出会った女性たちの人生が垣間見えたとき、はっとさせられたり、男女の象徴のようなものが表現されていると感じたり、編集で切られたところについて思いを馳せたりするのだと思いました。それは編集で無駄なところを限界まで切り詰めていくテレビ番組や映画ではどうしても表現できないものなのであろうと思いました。
BiSキャノンボールはテレクラキャノンボール2013に比べると、まさに「普通に面白かった」映画でしたね。最後にウイカちゃんのツイートを貼っておきます。
BiSキャノンボール、各地で続々と上映始まってます!嬉しい〜!たくさんの感想もありがとうございます。ただ、気がついたら劇場公開終わってる!みたいなパターンの予感なので、是非映画館でみんなでゲラゲラ笑って観て欲しい作品です!地方行くよ!
http://t.co/x3RTSUVBf8
— ファーストサマーウイカ (@FirstSummerUika) February 19, 2015
↓はなびちゃんが観てて一番良いな~と思ったのがこの子でした。
フェミニストから見えるテレクラキャノンボール
テレキャノを劇場で見たとき、これがAVであるという大前提が持つ、男から女への一方的な性的消費・女性蔑視の構造に、観客の大部分が無自覚なまま声をあげて笑っているのに嫌悪感を抱いた。私はこの作品を「笑ってしまう自分に罪悪感を感じながら見るべきもの」だと思ったので。
— 福田フクスケ (@f_fukusuke) February 16, 2015
ただ、テレキャノを評価する識者の中には、この作品が前提として持つ差別性は当然自覚した上で、「ゲスなホモソゲームに興じる男たち」を消費し返してやることに快感を見出した女性も多いように思う。
— 福田フクスケ (@f_fukusuke) February 16, 2015
だから、俺はどちらかというと、作品自体への嫌悪感よりも、批判的・内省的に鑑賞して初めて意味があるのに、無自覚に手放しで笑っている観客への嫌悪感のほうが強かったな。当時の自分の感想ツイートもこんな感じでした。
https://t.co/bO1WyinpUN
— 福田フクスケ (@f_fukusuke) February 16, 2015
個人的な実感として、私の周囲には「男性社会はクソだけど、かといって男性嫌悪と被害者意識が強すぎるフェミにも同意できない」という女性が多い。決して名誉男性というわけではなく、「女が女であるというだけで弱者や被害者を強いられる社会はおかしい」と考えている点ではとてもフェミニスト。
— 福田フクスケ (@f_fukusuke) February 16, 2015
彼女たちからは「女が男に消費されているのは事実だが、女だって男を消費して楽しんでいるし、同じように消費し返してやればいい。私たちはそんなに弱い存在ではない」という信念を感じる。その思想自体は魅力的だけど、全員がそこまで強くないのも事実。そこで分断・敵対はしてほしくないなと思う。
— 福田フクスケ (@f_fukusuke) February 16, 2015
湯山 テレキャノにおいて、男の集団や競争がエンターテインメントのためのドラマツルギーだとわかっていても、まあ、私は女なので、笑いものにされ、下に置かれて蔑視される女たちに関しては、非常にカンに障ったのは事実です。
女性は男性から欲求されて当たり前の存在で、自分からセックスだけの関係を求めていく女は浅ましいという考え方は根強い。肉食女子なんて言葉ができました けど、綺麗な子が肉食ならまだしも、デブで中年でブスな女が肉食だとすると、男からも、そしてここが重要なんですが女からも蔑まれてしまう。『テレキャ ノ』には下位にそういう女が存在することで、「こんな女とヤレたオマエは男として凄い」と、男たちがまとまるという構図がありますよね。カンパニー松尾/湯山玲子 女性たちは、「テレキャノ」にどうして怒らないの?<対談 「劇場版 テレクラキャノンボール2013」が教えてくれる男と女とその時代> - 幻冬舎plus
フェミニズムのひとが見たテレクラキャノンボールの感想や、湯山玲子氏の見たテレクラキャノンボールの感想を見て、とても自分がテレクラキャノンボールを見た感想とはまったく違って驚いてしまった。まるで別の作品を見た感想のように思う。
「AVであるという大前提が持つ、男から女への一方的な性的消費、女性蔑視の構造に、観客の大部分が無自覚」であったことに怒りを持ち、この作品を評価している女性はこの作品を消費することで快感を得ているのだ、というのが彼の主張なのであるが、そもそもそんな殺伐とした作品であっただろうか、というのがわたしの率直な疑問だ。
可能性として考えられるのは、わたしが見たテレクラキャノンボールは総再生時間が600分という長大な作品であったのにたいし、多くのひとが語っているテレクラキャノンボールは劇場版でおよそ2時間の作品だ。つまり五分の一になっている。ということは細かいところを切り詰めるのではなくてどこかが大幅にごっそり抜けていることになる。
ちゃんと劇場版を買って検証すればいいことなのだけれど、さすがにそこまでする財布の余裕がないのでしないが、おそらく性交シーンの多くが削られ、ホテルでそれぞれ撮ってきたビデオを再生して互いに得点ポイントを採点しあうシーンが多かったのではないだろうか。ビデオを見ながらゲラゲラ笑って互いのセックスを評価しあうシーンが主な内容であったのならば、その「ゲスさ」に不快感を示すのも納得である。
全長版を見たわたしの感想は、性交を基盤としたコミュニケーションっていうのはわたしたちがいつも行なっている言語を基盤としたコミュニケーションとはまったく違って、とても興味深いし面白いし温かい気持ちになれた、ということだった。
それに監督さんたちはみんなとても紳士的であったし(無理強いすることなんて絶対にしないし)、どんな女性(つまり湯山さんが指摘してたマイナスポイントになってしまうような高齢女性)であっても、そのひとに合ったコミュニケーションを取っていたし、それぞれの人生の一端が滲み出ていたし、ひとによってこんなにも性交が違うものだというのも楽しかったなあ、という気持ちでした。
だから、あんまり性的消費、女性蔑視、ということを言われてもあんまりピンとこない。それどころか人間って服を脱いで裸になっちゃえばみんな一緒なんだな、ってすら思った。
恋に関する考察
今日は恋についての考察をしてみたいと思います。
恋というのはある面において神に似ているのではないでしょうか。神というのはほとんどの人間が存在を信じている概念です。姿形は見たことはなくとも、信仰の有無に関わらずほとんどのひとは神を思い浮かべることができると思います。
神はあるひとにとってはヤハウェに見え、またあるひとにとってはアッラーに見え、あるひとにとっては仏様に見え、あるひとにとっては超常現象に見え、あるひとにとっては先祖様の形に見え、あるひとにとってはお守りに宿っていると思っている。その見え方は様々であるけれども、それは見る場所や見る目や認識によって姿は変わりますが同じように神です。
恋も同じことが言えるのではないでしょうか。恋というのは言葉としては「恋」という一言でまとめられてしまいますが、その内実、彼ら彼女らが求めているものは様々な形で不定形だと思います。王子さまの到来を待つ者、傲慢な女王様に傅きたい者、底なしの母性に包まれたい者、荒々しい父性を求める者、遂げられなかった兄弟姉妹関係の埋め合わせをしたいもの、罰し罰せられたい者、教え導きたい導かれたい者、生活者としての最良のパートナーを求めている者、もっともっとたくさんの関係をひとまとめに「恋」と呼んでいるんじゃないだろうか、って考えました。だから自分がどのように振る舞いたいのか、相手に何を求めているのか、それを知ることができれば、世界は少し平和になるはずだ。
じゃあお前は分かってるのか、と問われても、やっぱり神の姿を正確に思い浮かべることができないことと同じように分かっていないのですが。汗
J-vloggerに学ぶ語学学習法
最近話題のユーチューバーのなかでも外国人が日本を紹介する動画を作っているひとたちがいて、そのジャンルがJ-vloggerというらしいです。それほどたくさんのチャンネルを知っているわけではないのですが、わたしが登録しているのは、mimeiとsharlaなのですが、(youtubeのチャンネル登録はtwitterのフォローと違ってかなり厳選してます)これなどはバイラルメディアで有名になったりしていましたね。たくさんの方が投稿していてとてもバリエーションが豊富です。
(余談ですが、英語に興味のあるわたしは去年のプロモーションでプッシュされていたバイリンガールを見ていたのですが、どうもわたしには合わなかったようで数本の動画を見ると嫌になってしまいました。どうも彼女の動画を好きになれませんでした)
彼らの動画を見ていて、どのように日本語を習得したのか、ということはやはりみなさんの関心事のようでで、日本語の勉強法についての動画はたくさんあがっています。
彼らは日本の文化が大好きで、多くはアニメなどのオタクカルチャーであったり、映画であったり、J-POPであったり、日本のテレビであったりします。彼らは日本に対する興味関心が高いのでスポンジのように吸収しています。また彼らは日本に対する興味から学校で日本語の授業を受けていますが、基本的な文法やひらがな、かたかなを数年間学んだだけという方が多いようです。そして彼らは日本語で動画を作ったり、日本に留学をして日本語環境のなかに身を置いていたりしています。ようは、習うより慣れろ、みたいな感じの方がyoutuberには多いみたいだと感じました。
自分自身どうして英語の勉強をしているのかと言ったら、それは英語の文献をもう少し気軽に読みたい、ネットの英語情報にもう少し心理的障壁が低く接することができればたくさんの有益な情報を得られる、洋画が好きなのでもう少し英語が分かれば深い理解ができると言った感じなので、英会話の部分はばっさり切り落としても構わないかな、と思っていたのですが、どうやら違うようです。
しかし、わたしは生来引っ込み思案な性格で、英語話者はとてもアグレッシブでオープンマインドな印象がありはっきり言って恐怖の対象であったりします。だから本当に別に英語を使って外国人とコミュニケーションを取ろうなんて露とも思いません。
だから自分が英語を使うということを想定していなかったのですが、英語を使うことによって飛躍的に語学力を底上げできそうだなあ、と思いました。
なにか対策を講じなければ。
風俗で働いたら人生変わったwww 水嶋かおりん
ここのところ風俗業界を今までとは違う捉え方で書き記す本がたくさん出版されている。荻上チキの『夜の経済学』『彼女たちの売春』など、これまでよりもより観察者的な眼差しで風俗業界に光を当てる本が多い。涙を誘うような情緒的な内容ではなく、数字や統計学の手法を使って本当のところはどうなっているのか、ということが書かれるようになってきた。そのことによってより実際的な問題点がやっと見えてくるようになったと思う。(日本において風俗業界というのは伝統芸能の演目になりやすいなど日本人の心を掴む何かがあると思う。最近だと千と千尋の神隠しなんてのもそうであろう)
水嶋かおりんの前作にあたる『私は風俗嬢講師』では、彼女の生きてきた半生が主な主題だった。そこに描かれる様子はわたしにとっては想像を超えた貧困、虐待、DVというような、影のある人生が描かれていて、それはそれで興味深く読んだのだけれど、わたしにとってそれはいささか90年代的過ぎたし、そのようなことは他の本でもたくさん読んでいた。
今作では、風俗嬢を社会学的な視点やジェンダーの視点からあぶり出している。この考察は著者が実際に足を運び文字通り体当たりで得られた知見が披露されており、とても興味深い。
風俗嬢の確定申告について(彼女たちは未納であることが多い)踏み込んでいたり、風俗営業法で店舗型風俗店が一掃され、無店舗型の風俗店が主流になって起きた現状などにも触れられている。ほかにも風俗業界の低価格化、風俗業界が女性の福祉を担っている面があることなどこの一冊で風俗業界が抱える問題点と論点がおおよそ網羅できるようになっている。
後半ではこれから風俗業界で働こうとしている女性に向けたアドバイスや立ち回り方が一通り書かれていて、これがとても興味を引く内容となっていた。これほど実際的に使えるハンドブックはこれまで無かったのではないか、と思う。
それだけに、校正をもっとしっかりして欲しかったと思う。コア新書を手に取ったのはこれが始めてなので編集をどの程度やっているものなのか分からないが、読み進めながらこれは編集との間に何かのトラブルが発生したのではないかと思われるほど校正がされていない。誤字やタイプミスが散見されるし、通例ではひらがなにされる言葉でも漢字になっている箇所があったり、全体的に読みづらい。
もっとも気になった点は、語の定義を明らかにするために辞典を参照する描写が複数カ所があるがそのソースをwikipediaに頼っていたのは、学生のレポート課題ですらwikipedeiaからの引用を不可とされている現状と照らし合わせるまでもなくマズい。
とても良い内容であるだけにもっと時間をかけてブラッシュアップしてから出版しても良かったのではないかと思い、それだけが残念であった。
個人的に興味をひいた話題について。
わたしがとても興味をひいたのは水嶋かおりんがフェミニズムの研究会のメーリングリストの登録を風俗嬢であることを理由に拒否されたというものだった。彼女の分析ではフェミニストは「女性性を売りにすること嫌悪」しているようだ。これはとりわけサイバーフェミニズムが抱える大きな問題点であろう。彼女は女性には女性の戦い方があるので、これまでの男女のパワーゲームに巻き込まれず新たな戦い方をするべきだと説いているのだが、わたしもこの立場に賛成する。
もちもちの木 新宿
最近、お腹が弱っているのかラーメンを食べるとお腹を下す気がします。大学生のころは週に二~三回はラーメンを食べたりすた丼を食べたりしていたのだけれど、いったいどうしてしまったのだろうなあ。多分、脂がダメなんだと思うんだけれど。ラーメンは過剰に脂を入れるのでそれが消化しきれていないのがお腹の調子が悪くなる原因だと思う。それでもラーメンは好きだから機会があれば食べちゃうんだけれどね!w
新宿のもちもちの木というお店に行ってみました。この通りは初めて通ったのだけれどラーメン屋さんがたくさん並んでいました。新宿にはあまり行かないのでこんな通りがあるだなんて知らなかったです。
もちもちの木はラーメン屋さんにしては珍しく地下にあるお店です。階段を降りていくと落ち着いた照明のお洒落なカフェ風の内装でした。なんとなくお店の作りから以前はライブハウスだったりしたのかなあ、と思ったりしました。ラーメン屋によくある忙しなさは無くて居心地がとても良かったです。
「お熱いので気を付けてください」って店員さんに言われたのですが、ほんとに熱かったです。湯気がまったく見えなかったので油断していたのですが一般的なラーメンとは比べものにならないくらい熱くて一口目で舌の上(っていうのかな、前歯の奥辺り)の皮がべろ~ん、となりましたw
味ですが、やっぱり激戦区だけあって美味しかったですし、他では味わえない特徴的な味でした。スープが麺ととてもよく絡んでいて、わたしの好きな魚介系風味がバランス良く入れられていて良かったです。多分、脂がかなり入っていてそれで熱さを保っているのだと思われますが、脂っこさは全然感じさせず、むしろ「優しい味だな~」と思いながら熱々のスープを啜っていました。
それにしてもこんなに熱いスープを呑んだのはこれが初めてでした。
初めてのTOEICの結果
生まれて初めてTOEICのテストを受けました。TOEICは受験の申し込みをすると近くの受験場所を自動で選んでくれるらしく、戸塚の明治学院大学横浜校舎で受験しました。駅からかなり遠く臨時のバスが出ていましたが、駅前で案内のひとが立っていたのでとても分かりやすかったです。
久しぶりの大学の雰囲気に懐かしい気分になりながら、(わたしが学部生のころに二年ほど通っていた大学も埼玉の郊外にあってなんだか似ていましたw)受験しました。さすがに難しかったです。全体的に語彙力が足りていないような気がしましたし、TOIECのテスト形式に慣れずに、後半の長文で多くの人と同じように時間が足りなくなってしまいました。一応完走はしたのですが、やはり大量の問題を効率よく捌けないと得点を稼ぐのは難しいですね。
で、結果ですが、370点でした。なにも対策をしていないのでこれくらい取れれば御の字なのでしょうが、やはり悔しいですね。
この一年でどの程度伸びていくのか気になるところですが、とりあえず600点は目指してみたいと思います。600点では資格の欄に書くことはできないのでしょうが、英語は好きですし、試してみたいと思います。
あ、そういえばはてながアマゾンでお買い物してくれるっていうのは発表になったのでしょうか?電子辞書をはてなさんに頼んだのですが笑
今週のお題「今年の抱負」