しろいはなび

twitterでは手狭に感じてきたのでブログを始めてみました。

10年の時を経た猫

今週のお題「飼ってる、飼ってた、飼ってみたい!」

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今週のお題ですが、自分がいままで飼っていたのは、金魚、めだか、ハムスターで、それも小学生の頃でした。ここ数年は朝顔を植えているだけという生活になっています。もともと家族が動物を飼うのが好きではないようであまり動物とは縁のない生活をしています。だけど朝顔もなかなか可愛く、毎朝起きるのがとても楽しみです。

 

だけど、もっと人間と近い生き物、つまり犬とか猫を飼うというのはいったいどういう気持ちなのか不思議です。彼らには感情があり、ある程度のコミュニケーションが取れそうな感じがyoutubeの面白い猫動画を見ていると感じます。もし機会があったら猫とか犬を飼ってみたいなあと思ったりします。お世話が大変そうですがそれはそれで楽しそうですね。

 

画像はわたしの家の近くの公園にいる猫さんです。わたしがいま住んでいるのは二年前に越してきた祖父の家なのですが、わたしが高校生だった頃、つまりかれこれ十年ぐらい前から住み続けていて、十年前も片目を怪我していました。つまり十年の間、この公園に住み着いていることになります。幸い観光地ですし、半端に公園があって食べ物も住処にも困っていないのかもしれません。

 

なんだかとても人なつこい猫で誰でも寄ってきて頭を擦りつけてきます。なんというか上手いやつだなあと思いつつも、なんとなく放っておけなくて一撫でしたりこうして写真を撮ってしまいます。

 

やっぱり猫は可愛い。

西新井 らーめん涌井

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ぐるなびお題「思い出のレストラン」
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/gnavi201503

 

今週のブログのお題は「思い出に残ったレストラン」ということで西新井に住んでいたときに印象に残っているラーメン屋さんを紹介したいと思います。

 

このラーメン屋さん、小学生ぐらいのときにテレビチャンピオンのラーメンの特集のときに出てとても人気が出ていました。とても近所に住んでいたので長蛇の行列を横目にしていました。あまりにもお客さんが殺到しすぎてこのラーメン屋さんの付近の駐車場を借り切ってさらに警備員を雇って交通整理をしなければならないほどの混みようでした。(わたしが幼少の頃はコインパーキングはいまほど多くなかったですからね)

 

わたしが小学生だったころ、この背脂系ラーメンというのはとても画期的なラーメンだったらしいですが、現在では定番中の定番ラーメンになっていますし、お客さんの足も最盛期に比べるとまばらです。(それでもひっきりなしにお客は入っていましたし年始なんかは行列ができていました)わたしが小学生ぐらいのときからあるのでかれこれ20年以上前から西新井の地で営業を続けているのですね。(新陳代謝の激しいラーメン業界でそれだけ長く続けられるのはやはりすごいことですよね)

 

小さいころは食べたことありませんし、両親が行列が好きではないですし、極端に脂っこい物は若者が食べるものだ、と言って連れて行ってもらったことはないのですが、いまでも背脂系醤油豚骨ラーメンが自分の舌に一番しっくり来るような気がします。

 

幼いころは横目に見ていたラーメン屋さんも呑んで帰ってきたときにふらっと立ち寄って自分で注文して食べて会計をして出たときは、妙な感慨に浸ります。

 

西新井も色々と様変わりをしていますがこれからもずっとかの地にあり続けて欲しいラーメン屋です。

 

お探しの店舗のページはありませんでした

 

誰か一機やらない?

このような自意識を前面に出した文章をこのブログで書く気はなかったのだけれど、なんとなく春の陽気に当てられてしまってひどく感傷的な気分になったので書いてみるとする。

 

なんとなくだけれど、自分の人生は失敗だったのじゃないか、って思う。なんかもっと上手く自分の人生をプレイできる人間がほかにいたんじゃないかなあって思う。自分は自分の人生のプレーヤーとしては下手っぴすぎる。ゲームセンターCX有野課長みたいに自分はとても下手だなあって思う。

 

恋愛ができなければ人間的に問題がある、ということは手を替え品を替えたくさん言われることだけれど、自分はそういうことには汲みしたくないと思っているのだけれど、それに囚われている。

 

できれば、中学生とか高校生の頃に戻ってもう一度正規のルートを進みたいな、って思う。いまなら多少大人になったからできると思うし、なんとか中学生とか高校生のときに恋愛の問題に深く取り組み解決しておくべきだった、と思う。

 

いまになって恋愛について考えたりするの、とても惨め。

 

だから、女性誌は甘い言葉と輝かしい服装と美女と美男で綺麗に飾り立てるんだ。だって恋愛について考える大半は惨めだし、泥臭いし、恥ずかしい。

 

 

だけれど、中高生のころの自分は、自分のことすらままならず、いまよりはるかに怯えて生きていた。いまでもその世界に対する恐怖と怯えは無いわけではないけれど、少しは和らいできた。だからこういうことを考えても無駄なのは分かっている。分かっているけれどこの過去に立ち返って現実的な壁のとげとげした肌触りをどうしたらいいのか分からない。いつかこの壁が壊れてくれて、新しい場所に行けるのかもしれないし、壁が壊れたときにはなにもかもが手遅れになってるのかもしれないし、それともう間に合うのかもしれないし、分からない。

 

分からないから今晩も触れにきた。自分はいったいどうすべきだったんだろう、なにを間違えたんだろうって。人生においてある種の失敗というのは後々の人生に甚大な被害を及ぼすもので、それらはきっと取り返しがつかない。これらの問題もきっとそういうものなんだろう。

 

 

わたしがハメ撮りが好きな理由

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わたしはテレクラキャノンボール2009を見てからというものハメ撮りAVというものにハマった時期がありました。現在はパソコン環境が貧弱なため、それほどの量を見ていないのですが、一時期は「天然むすめ」「ガチん娘」「えっちな4610」の動画をたくさん見ていました。

 

劇場版の方のテレクラキャノンボールを見ていたひとは大部分がカットされていると思うのですが、全長版のテレクラキャノンボールにはセックスシーンもそうですし、それ以外の会話の部分がたくさん記録されています。そこがとても面白いのです。ここには他の映像メディアではカットされるかそもそもレンズが回されないものがそこには映っているのです。

 

セックスシーンが他の映像メディアでは写されていないのは当然であるからしても、そもそもどこにでもいるとりたてて特技を持っていない(レンズの前で発揮していない)市井の一般人がレンズの前に立ち、己の人生を開陳するのは他のメディアではありえないでしょう。ドキュメンタリー映画でもそうです。ドキュメンタリーになるのは多くの人生において有り得なさそうな体験をした人やなにかしらの特技を持った人間が取材対象になります。そのひとたちの話はそれはそれで面白いのですが、ハメ撮りAVに映っている人間は違います。取り立てて珍しい何かを持たない人間が日常生活の苦労や楽しかったことや印象に残った出来事などをレンズの前で披露してくれます。そこにはおかしみや楽しさ、人生のようなものが記録されています。ただの雑談、そう言えますがそれこそが面白いのです。

 

そしてAVというのは他の映像メディアと違って長時間の長回しが記録されています。そこにはふとした瞬間の表情や目配せに人間らしさを見るような気がするのです。ふだん、人々はレンズの前では演技をします。それはAVだとしても変わりません。ただ、突如として一瞬だけ現れるであろう目配せや息づかいや一瞬の態度や何気ない一言に妙に人間らしさが現れているのです。そこには愛のようなものが記録されていることもありますし、うんざりした気持ちが表われていることもありますし、とにかく人間同士のコミュニケーションが現れているように感じるのです。

 

ありふれた人間のなんでもない思考やコミュニケーションのかけらが記録されているのはハメ撮りAV以外にわたしは見たことがありません。

 

テレクラキャノンボールの次回作がいつになるかは分かりませんが是非いつか実現されることを願っています。東京オリンピックに合わせてやったらいいんじゃないかなあ。

 

 

 

非モテは人格不適合者か?

 

自分の友人の多くは同性異性問わず比較的モテるように見える方がたくさんいます。恋人がいるひとの方が多いですし、恋人がいてなおバイト先で誰々に言い寄られて、とか、この前ホテルに連れ込んだ話、であるとか、浮気をした話、とかたくさん聞きます。わたしは誰かとお付き合いの約束を結んだことが無いので、いったい世の中の仕組みはどうなっているのか、と不思議に思うのです。

 

わたしは以前、モテに対してとても焦っていた時期がありました。それはモテない、であったり性行為の経験が無かったり、恋人がいないということは、それはつまり人格に問題がある、とされることが多いからです。龍堂さんのツイートではモテない=人格に問題がある、訳ではないと言っていますが、モテないのには理由がある、と述べています。理由がある、というのは好意的な理由とは考えにくく、概ね否定的な理由でしょう。

 


他にもこのようなツイートもありました。これもこのツイートだけでなく多く言われることのように思いますし、例のオタキングがセックスモンスターになってしまったのも若かりし頃にモテなかったのが原因であるかのような言説が飛び交っていました。

わたしは単純に人生をより良いものにしたいと誰でもが思うようなことをわたしも思っていますし、悪い人格よりもより良い人格の持ち主でありたいと思っています。だけれども、その恋愛をしたり性行為をしたりすること、それらを望み、申し出るような行為がより良い行動とはとても思えません。それは相手の領域に足を踏み入れる行為になるからです。それは相手にとってストレスに感じるでしょう。(実際にそういう愚痴をたくさん聞いてきました)それによって相手を傷つける可能性があります。もちろん、この懸念はマッチョイズム的な肉食系の考え方の持ち主からすれば、「自分が傷つくのが怖いだけ」と一蹴されてしまうでしょう。でも違うのです。自分が傷つくのが怖いとは感覚的に違うことをわたしは知っています。自分の規範から外れた失礼な行為は感覚的に抵抗があるからです。(たとえば畳に靴のまま上がる、とかお守りの中身を覗き込む、といった行為に近しいです、それらは怖いとはまた違う感覚ですよね?)

わたし自身もこのままではいけない、と思ったことがあって、敢えて自分の規範から外れた失礼な行為をしてみた時期もあります。その頃の自分は振り返ってみても暗澹たる気持ちになります。たくさんの人間に迷惑をかけたな、と思います。しかしそのおかげなのか、なんとか自分に折り合いをつけることができましたけれど・・・だけれどももう一度あのような振る舞いをしようとはなかなか思いません。

しかし、モテているひとの魅力というのは確かにあるのです。つねに異性の影がある人間はわたしには光り輝いているように見えます。それがどうしてなのかわたしには分かりません。


恋愛というのはできるひとには、簡単にできるどころか、ただ生きているだけで舞い込んできて、それによって振り回されるほどに厄介なものであるようですが、わたしは普通に生きているように思うのに、まったくその気配すらありません。それはただわたしが恋愛というものに致命的に向いていない、つまり音痴であるとかカナヅチであるとかそういうことと同じなのではないかと思っていて、じゃあ意識して治そうかと思うと「恋愛工学」式の闇に落ちることになってしまって、いったい自分はいったいどうすればより良く、人間としての魅力を備えられるのか、まったく分からない。どうやらわたしは少し混乱しているようです。

恋愛について考えると、このような混乱状態に陥るみたいです。以前もほかのSNStwitterで恋愛について考えて自分の気持ちを書いてみたことは何度もあるのですが、その多くが文字を書き進めていくうちに混乱状態に陥って、言いたいことも、言いたかったことも、まとまりも深められもせず、ぐるぐると回っているうちに疲れ果ててしまうことが多かったのですが、まだそのようですね。

そもそも相手を求めたり、好きだという感情はとても身勝手で暴力的で一方向なものだと思います。それは写真を撮るときにもいつも思います。写真を撮るときは了承の上であっても、相手のリソースを奪う必要があります。そうでなければ写真を撮ることができません。恋愛は写真の何倍ものリソースを奪います。
同じことの繰り返しになりますが、「それが傷つくのが怖い」と批判するならばそれはそれで良いのです。ただ、わたしの感情にはぴったりと合致しません。

魁力屋 鎌倉手広店

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通勤のために乗っているバスの車窓から見つけました。最近とても目立つ派手な赤色の看板が目に飛び込んで何のお店だろうか、と思ったらラーメン屋さんでした。道中にあるのですが歩いて行くと少し遠く、わざわざバスを下車するほどでも無いのでスルーしていたのですが、たまたま近くまで行く用事があったので試しに食べに行ってみました。

 

ホームページを見ると全国展開をしているチェーン店らしいのですが、わたしはいままで見かけたことも無かったです。東京にもお店を出していたようですがどうやら郊外の道路沿いにお店を構えているらしいですね。

 

店の外にもベンチが並んでおり、待つための整理札を用意してあるほどたくさんのお客さんが来るようでしたがちょうど良いタイミングだったようで待つこともなくすんなり座れました。チェーン店らしく子供用の椅子が置いてあったり子供用のメニューがあったり定食があったりオツマミがあったりホスピタリティが溢れていました。店員さんの人数も多くとても爽やかな対応をしてくれました。

 

ラーメンですが、麺の茹で加減と脂の量を調節することができます。いつもの癖でこってりで注文したら背脂が思っていたより多くてびっくりしましたが、やっぱり脂って美味しいなあと思いながら美味しく完食しました。脂を入れないという注文の仕方もあるようでそうするとアッサリめな醤油ラーメンになるのではないかと思います。調味料の種類も豊富でたくあんと九条ネギが入れ放題なのは珍しくたくさんネギを入れて食べました。

 

この背脂がたっぷり入っているラーメンが西新井の涌井やこっさり青木亭を思い起こさせてくれてなぜか懐かしい気持ちに鳴ってしまいました。もう少し近所にできていたら月二くらいで通っていたかもしれません。(ぶっちゃけ近くにある丸源よりはるかに美味いです、二択だったら迷わずこちらをオススメ)

 

 


ラーメン 魁力屋 鎌倉手広店 (ラーメン カイリキヤ) - 湘南深沢/ラーメン [食べログ]

 

読みたい本がたくさんある

http://www.flickr.com/photos/77856873@N00/2854849909

photo by Amelia-Jane

最近は椹木野衣の「太郎と爆発」を読んでいる。だけれども、この本、買ってから読み始めて二回挫折して三回目の読書中でなかなか完読できずに、他の本を読むことができずにいる。数ヶ月にわたって真ん中辺りで必ず挫折してその先を読むことができなくなってしまうのだ。

この「太郎と爆発」は震災前に岡本太郎について書いた文章を前半に配置し、真ん中には彼の岡本太郎についての評論「黒い太陽と赤いカニ」を挟み、後半に震災後に岡本太郎について書いた文章が配置されている。どうやらわたしは「黒い太陽と赤いカニ」の中盤くらいで二回とも挫折しているようだ。どうも岡本太郎タイガー立石との関係、そして太陽の塔と万博についての評論についての辺りで論旨を見失ってしまうのだ。どうしたらいいものだろうか。前半のバタイユの思想と岡本太郎の対極主義の思想の関連と相違についての部分はとてもスリリングに読み進めることができるのだけれど、その先に行くとゆっくりと手が離れてしまうのだ。

 

わたしは積ん読をしていると一生読まなくなってしまう質なのは分かっているので、一冊ずつ読み進めていくことにしているのだけれどこの本がひっかかっていてほとんど本が読めなくなってしまっている。今年読んだのは岡本太郎の評論本一冊と水嶋かおりんの風俗業界についての新書本一冊だけだ。どうしても少なすぎて愕然とした。

 

ここからが本題なのだけれど、ツイッターを見ていると色々なひとが色々な本を紹介して「これが面白いよ」「これを読むといいよ」みたいなことを思い思いにツイートしていてそれが流れてくる。そのツイートを読むと確かにこれは読んでみると面白いかもしれない、なんてことを思って欲しいものリストに入れておくのだけれど、前述の通りなかなか読み進められていないので増えるばかりで減っていかない。そして、そもそもあんまり自分の専門的な領域ではなかったり、そもそも軽めの本であったりしてサプリ的な本もたくさんあって、本当に膨大な文字量に途方に暮れる。それに池澤夏樹の日本文学全集も読んでみたいと思っているけれども、なかなか手をつけられずにいる。

 

本当にたくさんの本が出ていて、そのすべてが興味深そうで、ただ、わたしの時間は有限で、文字を読める量はいつまでたっても変わらない。

 

どーしたらいーんだろーなー、っていう投稿でした。これがわたしの溢れそうになっている欲しいものリストです。